約5年ぶりに日本球界に復帰することが確実となった筒香嘉智選手。
筒香嘉智選手は2024年4月15日現在では古巣である横浜DeNAベイスターズへの復帰が確実となっていますが、現段階で正式発表はありません。
そんな中、筒香嘉智選手はどのようにしてプロ野球選手になったのでしょうか。
今回の記事では筒香嘉智選手の出身小学校から高校、そして学生時代のエピソードについて紹介していきます。
筒香嘉智選手の出身校は?
引用元:BASEBALLKING
筒香嘉智選手はプロ野球選手として横浜DeNAベイスターズに入団後、主力選手として活躍しメジャーリーグへと活躍の場を移しました。
そんな中で、筒香嘉智選手はどのような学生時代を過ごしてきたのでしょうか。
ここからは筒香嘉智選手の出身校を小学生時代から高校時代までのエピソードとともに紹介していきます。
小学生時代
筒香嘉智選手は和歌山県橋本市にある橋本市立恋野小学校出身であることがわかりました。
筒香嘉智選手は和歌山県橋本市出身であることから地元の公立小学校である恋野小学校に通っていたんですね。
また、恋野小学校出身の有名人としては2学年年上に俳優として活動する溝端淳平さんがいます。
筒香嘉智選手は両親が橋本市内でガソリンスタンドを経営する家庭で10歳年上のお兄さんと双子の姉の5人家族で育ちました。
野球を始めたのは小学2年生のときで、和歌山県岩出市の少年野球チーム「和歌山ニューメッツ」で野球人生をスタートしています。
引用元:文春オンライン
筒香嘉智選手は野球を始めた当初、当時お兄さんが使っていたグローブを年間ほど使用していて、4年生のときに新しいグローブがほしいと思い、クリスマス前にサンタさんにグローブをお願いしたようです。
すると、クリスマスに枕元を見てみると新しいグローブがプレゼントされたことが記憶に残っていると過去に語っています。
また、当時チームでショートを守っていたこともあって、当時のスター選手であった福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の井口資仁さんモデルのグローブをもらったことが嬉しかった筒香嘉智選手。
引用元:BASEBALLKING
このことがきっかけとなり、筒香嘉智選手は井口資仁さんのファンになったというエピソードがあります。
また、小学生時代には読売ジャイアンツの松井秀喜さんとメジャーリーグ「サンフランシスコ・ジャイアンツ」のバリー・ボンズさんに憧れていたことがわかりました。
引用元:NumberWeb
上記の2人は筒香嘉智選手曰く
ビデオが擦り切れるほど再生して観てた。
引用元:文春オンライン
とコメントしています。
中学校時代
橋本市立恋野小学校を卒業後は橋本市立隅田中学校に進学しました。
中学生となった筒香嘉智選手は大阪府堺市の「堺ビッグボーイズ」に所属。
中学生時代の筒香嘉智選手は友達と一度も遊びに行った思い出はなく、学校が終わり次第、お父さんが自宅の敷地に設営した手作りドームへ向かい、お兄さんと一緒に練習していたようです。
野球漬けの毎日だった筒香嘉智選手は堺ビッグボーイズで4番として活躍し3年間で30本塁打を記録し、中学3年生の大会では全国大会でベスト8になるなどチームを牽引しました。
また、ボーイズリーグの関西選抜の4番として世界大会にも出場した経験もあります。
高校時代
筒香嘉智選手は橋本市立隅田中学校を卒業後は神奈川県横浜市にある横浜高等学校に進学しています。
横浜高等学校は野球部の超名門校で毎年のようにプロ野球選手を輩出しています。
中でも元埼玉西武ライオンズなどで活躍した松坂大輔さんや現役では福岡ソフトバンクホークスの近藤健介選手、中日ドラゴンズの柳裕也投手なども横浜高等学校出身です。
引用元:BASEBALLKING
筒香嘉智選手は中学3年生のときに関西の複数の強豪校に声をかけられていました。
しかし、筒香嘉智選手が小学1年生のときに甲子園で観戦した第80回全国高校野球選手権大会の横浜高等学校対PL学園戦で感激したことから自身で横浜高等学校に連絡し横浜高等学校への入学と野球部への入部を志願。
そして、野球部のセレクションでは柵越えを連発、それが横浜高等学校野球部の関係者の目に留まり、横浜高等学校への入学と野球部への入部が決定しています。
野球部へ入部すると1年生から4番サードを任された筒香嘉智選手。
1年生では甲子園出場はならなかったものの、2年生の夏に甲子園初出場を果たします。
第90回全国高校野球選手権記念大会準々決勝の聖光学院高等学校戦で1試合個人最多タイ記録となる8打点をマーク。
しかし、大会後に椎間板ヘルニアを発症し約2ヶ月間はリハビリに時間を費やしました。
3年生の春では花巻東高等学校との練習試合で同学年の同じくプロ注目選手だったトロント・ブルージェイズの菊池雄星投手から特大のホームランを放っています。
引用元:BASEBALLKING
驚きなのが、筒香嘉智選手は練習試合の数日前から体調を崩していて、練習試合当日も39度の高熱を出しながら監督に出場を志願し出場していたことがわかりました。
3年生の夏は自身のエラーがきっかけとなって県大会準々決勝敗退。
甲子園には出場できませんでしたが、第8回AAAアジア野球選手権大会の日本代表に選ばれました。
筒香嘉智選手は高校3年間で甲子園出場は1度のみとなっていますが、高校通算69本塁打を記録しています。
そして、2009年10月29日のプロ野球ドラフト会議にて地元球団の横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に単独1巡目指名を受けて入団しました。
引用元:NumberWeb
まとめ
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筒香嘉智選手は和歌山県橋本市で生まれ育ち、高校からは神奈川県の名門校横浜高等学校で活躍し横浜ベイスターズに入団。
プロになってからは本塁打王と打点王の2冠を獲得するなど輝かしい成績を残し2019年オフにメジャーリーグへ挑戦しました。
そしてさまざまな球団を渡り歩き2024年に日本球界に復帰を決断しています。
筒香嘉智選手は日本のプロ野球で以前の輝きを見せることができるでしょうか。
筒香嘉智選手の今後に期待しましょう!
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